もうすぐ2020年が終わります。
世界中の人々に共通の敵がいて、それに奔走された年って、なかなかないと思います。
1年前のブログを見返すと、私は子どもと一緒に真夏の国にいて、手に入る材料でとりあえずのお正月料理を作っていたことを思い出しました。
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今日は地元の老舗スーパーでお寿司注文したので、年越しそばといただきます。
あのときは、まさかこんなに日本で過ごす1年間になるとは思っていなかったなー。
2020年1月は半袖で真夏を満喫しながら、春休みに日本に一時帰国することを計画していました。
ところが、2月に日本でコロナウイルスの感染者が出始め、下旬には一時帰国をキャンセル。
その直後、3月に今度はブラジルでもコロナウイルスの感染が拡大し始め、一気に街はロックダウンしました。
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2月の終わりに最初の感染者が出てから、ロックダウンになるまでのスピード感はすごかった……。
いつも陽気でキスやハグで挨拶しているブラジル人たちが、一気に暗い顔になって家にひきこもったことに驚きました。
それまで「ブラジルは夏だから、コロナは流行らないよ!」なんて言っていたのに。
レストランや公園が閉まり、マンションにアルコールジェルが設置され、街は人がまばらになり……。
子どもは一歩もマンションの自室から出られなくて、「これはまずい」と思って、3月の末に母子だけでの帰国を決めました。
当時のジリジリと焦る感覚は、今も鮮明に残っています。
我が家は今年海外駐在歴8年目でした。駐在先は3ヶ所目。
その時々、必死で自分の居場所になるように立ち上げて、異動や帰国するときには「寂しい。まだここにいたかった」と、思えるくらいになっていたのですが、
今回コロナウイルスのことがあって、「海外駐在って、結局借り暮らしなんだ」と、感じるようになりました。
私たちはどんなに馴染んで現地で友人ができたとしても、結局日本人で、帰る場所は日本なんだと。
移住ではなく駐在なのだから、それは当然なのですが、私のなかでは諦めのような気持ちが強くなるきっかけになりました。
日本に帰ってきて、我が家が身を置いたのは私自身が1年ほどしか住んだことのない、私の実家でした。
もともとは私の祖父母が住んでいた場所で、私の両親はここに約20年前にUターンしてきたのです。
方言もわからない場所ですが、父の病気のこともあり、何かに(たぶんすでに亡くなっている祖父に)呼ばれてきたような感覚があります。
子どもたちが学校や幼稚園や保育園ですごく良くしてもらったことにも感激していて、この地域のために何かしたいなーと、強く思うようになりました。
ということで、来年はまだ半分くらいは日本で暮らすことになりそうなので、もう少し地域に還元できるようなことをしたいと思っています。
以前までネット通販で購入していたものを、近所の商店で買うようにするとか、小さいことを始めているところです。
今夜のお寿司もその一環です。
来年もまだまだコロナの影響が続くと思うけど、私がこの状況下でできることを積み重ねていきたいと思います!
厄も明けるし、頑張ろう!
とりあえず来年早いうちに1人の時間が欲しい。それを小さな目標に!