コロナウイルスの世界的拡大に伴い、我が家はブラジルから長期一時帰国中です。
現在は実家から徒歩5歩の、スープの冷めない距離の離れに住んでいます。
以前ブログに書いたことがありますが、実家の父は2020年の年明けに病気が発覚しました。
病名は癌(がん)です。←本人のプライバシーのため、どこの癌なのかは伏せます。
手術のあとは元気で、化学療法をしながらも仕事を続けている父ですが、7月に体調不良を訴えて、倒れました。
コロナ禍でがん患者である父が倒れたこと、その対処や入院生活について書いていきたいと思います。
父の病気とコロナ禍でのがん治療
父のがん発覚
私の父は、60代後半です。
もともと高血圧ですが、2019年の年末に体に違和感を感じたそうで、病院に受診していました。
そのとき検査をした結果が出て、年明け初めての受診日に告知されたそうです。
「がん細胞が見つかりました。数日後に入院をして精密検査をしましょう」と、担当医から言われたそうです。
当時ブラジルに住んでいた私には、母から連絡がきました。
ラインのメッセージで意味深な言葉を送ってきた母に、電話をすると、
「お父さんには子どもたちに話すとはまだ言ってないから内緒にしててほしいんだけど、お父さん癌なんだって」と、言われました。
本人は「がんだけに頑張ります」とか、「聞いたときは『ガーン』って思ったよね、がんだけに」なんて言っていたようですが、もともと口下手な父が変なギャグを飛ばしていること自体イレギュラーな感じがしました。
私は夫に相談し、3月の春休みには子どもを連れて一時帰国できるように手配をしていました。
コロナが世界中で拡がり始めたため、フライト予約から約1ヶ月後に「父にコロナをうつしたら行けないから海外から帰ることはできない」と、一時帰国をキャンセルし、また2週間後に「ブラジルの医療崩壊が心配だから、子どもを連れて帰る」という決断を下したのですが、常に気になっていたのは父の病状のことでした。
がん患者の父親との距離感を考える
父の病気のこともあり、帰国後はほとんど実家に顔を出すことなく、離れにある元祖父母の家で子どもたちと2週間過ごしました。
ブラジルでは日本よりも早く、まだ感染者がほとんど出ていないうちからロックダウンに近いことを各州知事が行っていました。
このため、ブラジルにいる間に私たちがコロナにかかることはなかったはずですが、30時間近いフライトやトランジット中に感染者と接触していた可能性があります。
子どもたちには父の病気のことを話せていなかったのですが、「お年寄りにうつるとコロナは重症化しやすい」ということを伝え、おじいちゃん・おばあちゃんにはなるべく近づかないように話していました。
こちらの思いとは裏腹に、あまり父は危機感を持っていないように見えました。
孫がかわいいからと膝に乗せたり、マスク着用しないでお喋りしたり…。
そのたびに私はイライラしながら、父に「もっと自覚持ってね」と、言いました。
コロナ禍でも続くがん治療
父のかかりつけ病院はコロナの患者の受け入れをしていなかったので、父のがん治療はそのまま続いていました。
詳しい期間はわからないのですが(驚くことに、本人もあまり把握していません)、週に1度病院で薬剤を投与する治療を3回続けて、検査。
その後1ヶ月間開けて、週1回の投薬を3回続けるというものでした。
薬剤を投与された日の父は、毎回とても体調が悪く、翌朝までずっと寝込んでいました。
熱や痛みに苦しむことも多かったようです。
がん治療の副作用で父が倒れた
7月のある日、父がまた投薬治療のため病院に行きました。
治療後は体調が悪くなることを知っていたため、うるさくならないように子どもも含めて私たちは実家に近づかないようにしていました。
お昼過ぎに、父からインターホンがかかってきました。
「なんか、お父さん体調が変なんだ。ちょっと来てくれないか?」というものでした。
私が駆けつけると、この日の気温は30℃を超えていたのに、父は灯油ストーブのスイッチを入れ、毛布に包まっていました。
見た目にわかるほどガクガクと震えていました。
「体が震えて、何もできないんだ」と、父が言うので、「とりあえず熱を測って」と、私は体温計を渡しました。
体温は平熱でしたが、やはり父の震えは止まりません。
熱はないけれど、父の尋常ではない姿に「もしかして、コロナにかかったのでは?」と、不安になりました。
病院から帰宅してきて2時間経った頃でしたが、病院の診察券を出してもらい、病院に電話して指示を仰ぎました。
と、同時に母に電話し、父の症状を伝えました。
父は体調が悪くなったとき、咄嗟に離れにつながるインターホンのボタンを押しましたが、それ以外は何もできない状態でした。
本当なら救急車を呼んでも良いような気がしましたが、父はそこまで頭が回らなかったようです。
「もし近所に住んでいなかったら、父は母が帰宅するまでの間にそのまま帰らぬ人になっていたかもしれない」と、考えるとゾッとしました。
コロナ禍での入院生活
子どもが学校と幼稚園から帰宅するため、母の帰宅を待ってから私は一度自宅に戻りました。
その間に父の熱は39℃に上昇。
再度母が病院に電話すると、すぐに受診してくださいと言われたそうです。
そのまま父は入院することになりました。
コロナ禍での入院では、外部の人間が入院患者と面会することが禁止されていました。
着替えや差し入れの本を持っていくときは、まず病院の玄関で検温します。
発熱がないことを確認したあと、病棟のある階まで階段を上り、踊り場周辺で看護士さんを呼び出します。
そこで、荷物を差し出して父に届けてもらいました。
通常の入院では家族がすることまで、看護士さんたちがやってくれているのだろうと思います。
忙しいなかでさまざまな気遣いをしてもらって、本当に病院関係者の方には感謝です。
父は誰も面会に来ないし、大部屋なので頻繁に出入りするのもはばかられるようで、ひたすら本を読んでいたようです。
「本を持ってきてくれ」と、言われて話題の本を差し入れたのに、こちらの本はそのまま戻ってきました。
「今の気分じゃない」そうです。
父は退院したけれど不安は残る
「Withコロナ」の時代とは言われているけれど、やはり既往症を持っている方やその家族はとても不安だと思います。
もともと父にがんが見つかったと聞いたときは、それだけでとても心配になりました。
それに加えてコロナにも気をつけなければならない状況は、きっと本人が1番不安だろうと思います。
早く有効なワクチンが開発されて、とにかくリスクのある方だけでも摂取できるようになりますように。