こんにちは。
今月末にブラジル行きを控えているプージャです。
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第2便の引越まであと2週間。
引越直前にやらなければいけないことが多々あり、ブラジルに行ってからの生活について考える暇はありません。
けれども、1月末にブラジル駐在経験のあるお友達に話を聞いたことで、自分がやるべきことが見えてきました。
また、今年はちょうど次男が幼稚園に入園する年で、これからの私の働き方についても考えていたところでした。
実際には、考えようと思っていたところに夫の転勤の話が出てきたので、頓挫してしまったのですが…。
ということで、今回は海外駐在開始から半年の私と、本帰国しているであろう5年後の私について想像してみたいと思います。
- 生きるために!駐在開始すぐに私がやるべきこととは?
- 楽しむために!ブラジルでやってみたいこと
- 母は先生であり医師であり薬剤師である。そして、もちろん母である
- 5年後の私。どうなっているのかな?
- まとめ
生きるために!駐在開始すぐに私がやるべきこととは?
ブラジル駐在経験のあるお友達と話していて、とにかく現地に到着したらすぐにやるように言われたのはポルトガル語の習得です!
治安に不安があるブラジルでは、「とにかく生きるために言葉を学ぶべし!」と、お友達からありがたい言葉をいただきました。
現在の私、ポルトガル語は一言も話せません。
日葡辞書やテキストは購入したものの、すべて夫が先に持って行ってしまったので、1ページも開いていない状態です。
それでも「なんとかなるかな?」と、軽い気持ちでいました。
また、会社から語学教室に通うお金の補助は出るので、現地に行ったらポルトガル語教室に週1くらいで通おうと思っていました。
けれども、お友達は、
- ポルトガル語の家庭教師を雇い、週2程度で自宅に来てもらうこと
- 家庭教師を利用して、家の中の不具合への対応や買い物など生活の困りごとを一緒に解決してもらうこと
この2点を提案してくれました。
家庭教師を利用して現地の生活に馴染むというのは、私の中にまったくなかった発想でした。
不安だった現地での生活の立ち上げが、ぱっと開けたような感覚になりました。
楽しむために!ブラジルでやってみたいこと
ポルトガル語を習得して現地の地理感も身に着けたら、あとはブラジル生活を楽しむしかありません!
私がやりたいことは今のところ以下の通り。
- ポルキロと呼ばれる量り売りの食堂を食べ歩きたい
- カポエイラを習ってみたい
- ブラジル人の友人を作りたい
私はどこに向かっているのかわかりませんが、とにかく期間限定のブラジル生活を楽しみたいと思っています。
母は先生であり医師であり薬剤師である。そして、もちろん母である
自分がブラジルでの生活を楽しむためには、子どもたちや夫も心身が安定して健康であることが欠かせません。
以前の駐在地、インドのときに小学生のお子さんがいる駐妻さんが話してくれた言葉を思い出します。
「(インドでは)お母さんはお医者さんの役目も薬剤師の役目もしなきゃいけない。塾の先生もお母さんの仕事」
当時の私は0歳の長男を抱えて必死だった気がするけれど、子どもが大きくなればなるほど、違う課題も出てくる訳ですよね。
子どもの体調不良は必ずあることだと思います。
すべての不調に対して病院にかかるのではなく、日本から持参した常備薬とにらめっこしながら、与える薬を決めていかなければいけません。
学習に関してもそうですね。
現在7歳の長男も、駐在が5年になったら中学入学が見えてくる年頃です。
今よりも学校での勉強もハードになってくることが予想されます。
いろいろな役割をしなければならないけれど、やはり私は3児の母親。
環境の変化の中でも、子どもたちが落ち着ける場所を作りたいと思っています。
子どもが小さいうちは「お母さん」が1番の仕事だと思って、奮闘するつもりです。
5年後の私。どうなっているのかな?
実は駐在期間が未定の我が家。
短くなる可能性ももちろんありますが、最長パターンの5年だったとして、本帰国後の私はどうなっているのでしょうか?
- 私、40歳(人生の折り返し地点?)
- 子ども、長男=12歳・次男=8歳・長女=6歳(もうみんな学校に行っている年齢!)
- 帰国地、未定
両親が健康で生活できていることを前提にすると、帰国したら働くしかないですね!
私は特別なスキルを持っている訳ではありません。
でも、たぶん何とかなると思えるのは、私の母が45歳を過ぎてから資格を取って、今は天職というべき仕事を楽しんでいるからです。
本当は焦る気持ちがいっぱいあります。
私と同年代の友人たちはみんな産休や育休を取りながら、仕事を続けているから。
「仕事と家庭の両立、大変だよね?」と、同調しながら、実は羨ましいことも多いのです。
だって、私は1人になる時間もないから。
それでも、「大丈夫、大丈夫」と、言い聞かせて、5年後に日本に帰ってきたときに何かを頑張ることができるような、体力だけはつけておこうと思います。